「あの鳥のように飛べたなら」

濁りに染まぬ蓮
清らかに咲き誇る

一度(ひとたび)巡れば
蓮に心寄せ
託されるは
生涯の約束

ぽん……ぽん…… ……聞こえるか?
花の咲く音 開く音……

この花のように清く咲く
その下には濁る泥水
この花のように清く在る
その裏には……

 

 美しい旋律。思いがけず差し出された蓮の花。中尊寺で栽培されている、中尊寺蓮(記事内後述)を想起させられることで、舞台と現在の歴史が繋がった感覚。

 己を語らず飄々としたイメージの強い三日月が、詞に乗せ自らの心情を切々と吐露する様は、楽曲の素晴らしさも相まって私の胸を打った。

 

 一度巡れば~からの頭文字を取れば、一蓮托生。現代では行動や運命をともにすることという意味で使われる語だが、原義である仏教用語においては、死後、極楽にて同じ蓮台の上に生まれることを指す。
 自らを濁った泥水に例える三日月だが、その対比となる蓮は清らかさの象徴であり、つまりは審神者とその意を汲む刀剣男士たち、なかんづく小狐丸を指している。その理由については後述。

 

 中尊寺蓮……泰衡の首桶から発見された蓮の種子が発芽、開花に成功したもの。現在は平泉中尊寺境内の池にて栽培されている。薄紅色の大輪の蓮で、非常に美しいと言われる。今年こそは見に行きたいものだ。