源平合戦

 源平合戦のシーンで描かれる、一ノ谷、屋島、壇ノ浦という流れは、義経記(ぎけいき)の記述に準拠している。

 義経記における平家追討戦の記述は「御曹司(義経)、寿永三年に上洛して平家を追ひ落し、一谷、八島、壇浦、諸所の忠を致し、先駆け身を砕き、終に平家を攻め滅して」とあるだけの実にあっさりしたもの。これは「平家物語では描かれなかった源義経」を補完しようと巷間で創作された物語の集大成という義経記の性質をよく表したものである。

 あくまで清らかな悲劇のヒーローたる源義経像を描いた義経記が美しい蓮の花、その下地となった平家物語は泥水という解釈も成り立つあたり、これも脚本の妙であろう。

 

 ちなみに一ノ谷での鎌倉軍総大将は義経ではなく彼の異母兄(頼朝からみれば異母弟)源範頼(のりより)であるが、その存在などもまるっとスルーされている辺りからも、「つはものどもがゆめのあと」が義経記寄りのお話であるように感じ取れる。