安宅の関にて

 三日月が岩融に安宅の関のやり取りを見せるのは、前述したとおり、岩融にはその記憶が無いから。
 弁慶が諳んじる勧進帳の文言にも、「(数千)蓮華の上に座す」という言葉が確認できる。やはり「一蓮托生」という言葉は、この作品の要諦を成すキーワードなのであろう。本丸の仲間は、勿論のこと審神者も含めて、みな一蓮托生。


 優しさにも様々な形がある。岩融にそれを諭そうとする三日月の胸中や如何に。


「間違えたり、寄り道したりを繰り返して、成長するものさ」
「繰り返し……、繰り返し……か」


 果たして彼は、いくど間違え、いくど寄り道した末に、ここに居るのだろうか。