刀ミュ「つはものどもがゆめのあと」考察&感想
これは作中で頻出される蓮の花の例えが表すように、対をなす光と影、陰と陽、表と裏の織りなす物語。
対になっているものとしては、三日月宗近と小狐丸、今剣と岩融、髭切と膝丸、太平記と義経記、実在と非在など枚挙に暇がないが、これらを通して『正しい歴史』とはなにか、刀剣男士とはなにかという、刀剣乱舞という作品自体の核心に切り込んでいく内容となっています。
ここではこれらの対比を列挙していくことで、今回の物語の主軸ともなっている三日月宗近の行動原理などを中心に、あれやこれやと考察していくものとします。
○小狐丸の舞う小鍛冶
○弁慶と牛若丸を演じる岩融と今剣:
○新刀剣男士・髭切と膝丸登場
○「あの鳥のように飛べたなら」
○今剣を傷つけぬよう髭切、膝丸に願い出る岩融:
○源平合戦
○髭切に新たに生じた記憶について
○小狐丸の心情
○安宅の関にて
○豹変した頼朝とその真相を探る小狐丸
○三日月と泰衡の語らい
○「しくしくくれくれ……」
○「歴史とは水のようなもの。始めから形など存在しない」
○「あの鳥は北へ向かったか。まずは北へ向かうとするかのう」
○「今日の畑当番は、逃がしませんよ」
○修行へ旅立つ今剣
○「かえってきたら カンジンチョウのけいこのつづき しましょうね」
○小ネタ集
最後に。
ここで語らせて頂いたものはあくまで私の個人的な解釈です。これが正答であるというような主張をする気はさらさらありませんし、読んで下さった貴方の考えを縛るような意図は毛頭ありません。
ただ言いたいのは、この作品の素晴らしい物語があればこそ、これだけ色々と刀剣乱舞の世界について自分の考えを深められたのだということです。
ここに纏めたものが、貴方にとってこの深く妙なる物語を味わう上で、その一助となれば幸いです。