阿津賀志山異聞 2018 巴里

阿津賀志山異聞2018巴里!

ライブビューイングにて鑑賞して参りました。
いやはや、旧あつかし、ましてやトライアル公演の時とはまるで、なんというか別次元ですね。


役者陣の上達ぶりは勿論のこと、映像や音響といった演出、舞台セットや衣装などなど全ての要素がパワーアップ。単純な焼き直しではない、今だからこそ作れる、現時点での最高・最上クオリティの作品に仕上がっていましたね!

個人的にはやはり、後発の「三百年」や「つはもの」の内容を受けての脚本・演出の追加要素に、とりわけ心を惹かれました。なにせ開幕してから、いの一番に「アレ」ですからね。「つはもの」の脚本に大きな感銘を受けた身としては、胸中で快哉を叫ばずにはいられませんでしたとも!


という訳で取り敢えず、初見で気づいたそれらの追加要素をいくつか、心の赴くままにピックアップしてみたいと思います。何故なら自分が楽しいから。

以下、盛大なネタバレになりますので、その点をご了承いただける方のみご覧ください。

 

 

※この先は完全に、たった一度見たきりの記憶頼りで書いております。
間違っている部分などがあるかもしれませんが、笑ってご容赦ください。
コメントもご随意に。
今この時の感動を今のうちに書いておきたいのです。
ディレイ配信も楽しみですね!

 


○開幕からの第一声が、まさかの「頻く頻く 呉れ呉れ」


蓮の花を携えた三日月のシルエットが現れた時には、興奮のあまり、思わず変な笑いが出そうになりました。

それに伴い、トライアルや旧あつかしでは「今剣の記憶」として描かれていた、冒頭の衣川の戦いの様子が変更されています。
なので、ここではシーンラストの義経の自害直後にあった、今剣の義経への呼び掛けはカット。


私の解釈に沿うならば、これは「“いずれかの三日月宗近”によって導かれた正しい歴史の流れの一つ」という形になります。このミュさにわの本丸ではない、どこかの本丸に居る(或いは“かつて居た”)、別の“三日月宗近”。

「つはもの」の脚本を踏まえての演出に変更されたことで、語らずにはいられないところがもう一つ。義経と泰衡とのやり取り!旧あつかしとは、全く意味合いの異なるものになりましたね。

『この首、泰衡殿には荷が重かろう』という、義経のあの台詞。

泰衡への思いやりに充ち満ちていて、ここで最初の涙腺崩壊を迎えました。


同じ台詞をあそこまで変えて見せる、脚本と演出よ。

 


○『あどうつ聲』with 三日月宗近
これまた実に分かり易く、「つはもの」からフィードバックされた追加演出。
三日月が登場して歌い始めた歌詞の内容から「まさか……?」と思わせ、そのまま小狐丸と並んで二振りでの

『はった はった ちやう ちやう』

ですからね。「つはもの」好きなおっさん審神者(私)はもう、大歓喜ですよ。
第二部でのライブパートこそ新曲揃いでしたが、第一部のミュージカル本編で新規に追加された楽曲は、この曲のみ。是非とも音源化して貰いたい一曲です。が、ちょっと望み薄かなあ……。

財布ならここにあるから、是非、同じ曲も録り直していただきたいところです。

 


○石切丸、絵を描く:
おもむろに加州清光の似顔絵を描き始める石切丸。これは「三百年」の内容から追加された演出ですね。

まだ絵を描くこと自体を始めたばかりの様子で、明確に下手くそだと揶揄されるのも実に芸が細かい。


「現在」を切り取り、曖昧な「記憶」ではなく確固たる「記録」を残すというこの行為。

これは、言い換えれば「歴史・物語を創る」ということ。


刀剣男士にとって歴史は「守る」のが本義。

であればこそ、誰よりも戦を嫌う石切丸が自分たち刀剣男士の歴史を「創る」ことに踏み出した意味合いは、とても大きいと思うのです。


今後、是非ともこの石切丸と、『物語なきもの』こと巴形薙刀との絡みが見てみたい。

 


○顔を隠す三日月:


阿津賀志山への出陣後、義経、弁慶、泰衡の三人と遭遇する第一部隊の面々。

今剣を筆頭に誰もが義経たちへ目を向ける中、唯ひとり、見られては不味いと言わんばかりに顔を背ける三日月宗近。その後、弁慶ひとりになった際には他の五振りと同じように接触している為、義経か泰衡、「つはもの」の内容を踏まえればおそらく泰衡に気づかれるのを避けたように見えました。


が、普通に考えればおかしいんですよね、これ。

この泰衡は無数に存在する歴史の中の、無数の泰衡の一人でしかない。別の歴史の流れの泰衡が、そこで三日月と接触していたとしても、この泰衡が三日月の記憶を有している筈がない。なので、わざわざ顔を隠す理由はないのです。

少なくとも「つはもの」の時には、三日月は泰衡が己の記憶を有している筈がないことを明確に理解しており、始めから堂々と接触していました。

 

となれば考えられる可能性は大きく二つ。

一つは、この時点の三日月宗近は、まだそうした仕組みを理解しきっていないという可能性。
もう一つは、この歴史の流れの中では既に“三日月宗近”が泰衡と接触していた可能性です。

 

「つはもの」の考察をした際の「三日月宗近は、確かな存在。ゆえに数多ある本丸で数多顕現し、偏在する“三日月宗近”の記憶が共有される」という私の自説に則れば、どちらの場合も説明は可能です。

が、とりわけ後者の場合を、少し捕捉してみましょう。


阿津賀志山異聞の状況は、時間遡行軍による歴史改変が既に達成された後。これは蓋然ではありますが、別の本丸から派遣された刀剣男士たちが、任務に失敗した結果というようにも考えられるのです。

その、「任務に失敗した刀剣男士たち」の中に、“三日月宗近”が編成されていたならば……。

刀ミュ本丸の三日月としては、絶対に泰衡と接触をすることは避けなくてはなりませんよね。

これは図らずも、「任務に失敗した本丸がどうなるのか」を三日月が認識しているように考えられた点にも繋がります。

 

つまり刀ミュ本丸の第一部隊は、別の本丸が失敗した任務の尻拭いをさせられたのかな?

 

はてさて、その真相や如何に。
私としては自説が裏付けられたように思えた追加演出ですが、いずれ明かされるであろう答えが、ますます楽しみになりました。


2018.8.20 記