~東京心覚~の心覚え

 始まりましたね! 刀ミュ新作公演・東京心覚!
 舞台初日からライブ配信があるこの有難さよ。コロナが収まってもこの形式は是非とも継続して頂きたいところです。
 しかしまあ、ご覧になった皆さん。如何でしたか?
 私としては、こうも剛速球を投げてこられるとは思っていなかったので正直いささか面くらいつつも、どうにかボールはキャッチできたかなーと言ったところでしょうか。
こんなん下手したら捕手後逸の大暴投にもなりかねなかったんじゃないかと思うんですが、いやはや審神者の皆さんがいかに信頼されているかということですよね。
 コロコロと時間と場所とが行き来するので場面がとりとめない上に、台詞も抽象的なものが多く、核心は突きつつも明示はしない。舞台芸術としてはこうした前衛的な内容なものもさほど珍しくないかと思いますが、そうか~、刀ミュでこれをやるか~。
 私も一度の視聴で全て拾い切れたとは到底思えませんが、この滋味あふれる投げ掛けを少しでも多くの方が受け取れますようにと願いを込めて。
 以下はいつものようにネタバレ全開で、気付いたことや私の考えをつらつらと書き連ねていこうかと思います。
 さて、「問わず語り」を始めましょうか。

 

 

 

 

 今作のテーマを漢字一字で表すとすれば、やはり「線」になるでしょうか。
 「想」や「名」辺りも候補になりそうではありますが、どちらも意味を敷衍すれば「線引き」の範疇に収まりますからね。
 では、東京という地を語るうえでどんな線引きが為されていったのか。
 まずは登場した歴史上の人物を時代順に整理してみましょう。

1.平将門
 言わずと知れた数多の逸話を持つ、平安時代中期の関東の豪族(武将)。
〇「小次郎殿ー!!」
 平将門の俗称(幼名)。生母の出身地である下総国(しもうさのくに)相馬郡(そうまぐん)で育ったことから、相馬小次郎(そうまのこじろう)。
〇「新皇(しんのう)」
 『将門記(しょうもんき)』によれば関東一円の支配を確立した天慶2年(939年)、上野(こうずけ)の国庁(政庁)にて八幡大菩薩の神託を受け、「新皇」を自称したとされる。これにより将門は大和朝廷に対し謀反を起こしたと受け取られ、翌天慶3年には作中でも描かれたように非業の死を遂げる。
〇「七人の将門公」
 菅原道真崇徳上皇と共に日本三大怨霊ともされる将門公は、それ故に数多くの伝説や逸話に彩られています。その中の一つに、彼には六人の影武者が居たというもの(つまり将門本人を含め七人)がありますので、そこから取られたものでしょう。
 この「七」という数字は、当時信仰されていた北斗七星や北極星を神格化した妙見神(妙見菩薩)を祀る「妙見信仰」に起因するものとも言われていますが、本作ではどうやら別の意味合いも持たされています。それについての詳細は、後ほど南光坊天海の項にて。
 彼が引いた線は、大和朝廷の王朝的秩序から脱却した、「坂東(ばんどう)王国」という武家の支配による新秩序でしょうか。


2.太田道灌
 室町時代後期の武将。時の関東管領・上杉氏の一族、扇谷上杉家に家宰として仕え、敵対していた足利成氏側の豪族・千葉氏に対抗する必要性から、利根川下流域に「江戸城」を築城。
 この江戸城は現在の皇居と同じ場所に建てられたものですが、築城当時は現在の日比谷あたりが利根川に繋がる深い入り江になっていて、当時の江戸城は海辺の山城でした。
〇「山吹伝説」
 ある日のこと、鷹狩りに出た(父に会いに行ったとも)道灌は俄雨に遭い、蓑を借りようと近在の農家に立ち寄った。だが、家の中から出てきた娘が差し出したのは、蓑ではなく一輪の山吹の花。それに腹を立て雨の中を帰った道灌だったが、後で近臣にこの話をしたところ、それは後拾遺和歌集兼明親王の歌、「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」に掛けて、山間の貧しい家では蓑一つ(実の一つ)持ち合わせていないことを示したものだと教えられた。古歌を知らなかった己の不明を恥じた道灌は、以後は歌道にも励み、歌人としても名を馳せるようになった……というもの。
 作中でも「七重八重~」の歌を道灌が読む場面や、能面の少女が道灌に山吹の枝を手渡す場面が挿入されていました。
 彼が引いた線は、江戸という土地に初めて城を築き、のちに繋がる江戸の町の礎を定めたこと。


3.南光坊天海
 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗大僧正。出自や前半生については諸説紛々あり、中には姿を変え生き延びた明智光秀であるという説まである。
 徳川家康が幕府を開くにあたり江戸の地を選んだのは、天海の助言によるものとされる。
〇「プンダリーカ」
 初登場時に歌っていたプンダリーカは、サンスクリット語で「蓮の花(より正確には白蓮華)」のこと。審神者にとっては千子村正が口にする「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(妙法蓮華経)」で馴染み深いかも。
〇「五壇法」
 その際、周りで弟子?の僧たちが何やら唱えているも殆ど判別できなかったのですが、かろうじて「グンダリ」という単語が聞き取れたので、おそらくは五大明王の名を唱えていたものだと推察されます。
 密教には「五壇法」という五大明王を個別に安置し国家安寧を祈願する修法があり、中央に不動明王、東に降三世明王、南に軍荼利明王、西に大威徳明王、北は系統によって金剛夜叉明王烏枢沙摩明王かを配するのですが、天海は天台宗の僧なのでおそらく台密烏枢沙摩明王のほうでしょう。

 とはいえこれについてはあんまり自身ありません。アーカイブ配信でも始まればちゃんと聞き取れるかなあ?
〇「七人の将門公と七つの台地」
 江戸城の本丸を置く位置について、天海は江戸にある七つの台地、上野、本郷、小石川、牛込、麹町、麻布、白金のそれぞれの突端を結んだ延長線の交差地にすべしとの助言をしたともされる。この逸話と七人の将門伝説、妙見信仰とを重ね合わせての、あの線で結ぶと北斗七星になる演出である。仕込みが凄すぎてもはや感動を覚えるレベル。凄いぞ刀ミュ。
 彼が引いた線は、「日ノ本の中心」としての江戸。現在の東京の外郭とも言えるでしょう。


4.勝海舟
 江戸時代末期から明治時代初期の武士、及び政治家。言わずもがなの著名な人物なので、詳細については割愛します。審神者的に大事なのは、水心子正秀の元の主である点でしょうか。
 彼の引いた線は、言うなれば終わりと始まり。江戸の終わりに立ち会い、東京の始まりに身を置き、かつてと今を線で繋いだ人物。


 とまあ、えっらい長くなりましたがここまでで前段になります。これらのパーツを材料に、ようやく本筋である刀剣男士のあれやこれやと刀ミュの世界観を考察していこうと思います。


 今作、東京心覚で八振りの刀剣男士たちが訪れるのは主に7つ。
 上記4人の人物のもとに加え、本丸、放棄された世界(おそらく改変された「天保江戸」であった場所)、そして水心子正秀の精神世界。ラスト手前で三日月宗近と交信していた場所はちょっとよくわかりませんが、とりあえず本丸の一画という理解にしておきます。
 これらの場所を代わるがわる描くのですから、そりゃあ目まぐるしくもなりますよ。八振り居るんですから八か所でも良い気がしますが、天海の項で前述したようにこれも妙見信仰に准えているのやもしれません。
 あ、そうか。点が8つないとそれを結ぶ線は7本にならないから、刀剣男士は八振りなのかな? だとすれば、とことん「線」の話なんですね、今作は。

 さて、では「線」の話です。線引き、すなわち事物・事象の定義。自と他を分かつ境界。名前であり概念。
 それを踏まえた上で、本作のストーリーテラーを務めた水心子正秀について、まず考えなければなりません。

・水心子正秀
 彼に敷かれた線引きは主に、「刀剣男士」、「新々刀」、「水心子正秀という名前」など。ここで重要になるのは彼を定義づける核心となる要素、すなわち名前です。
 「水心子(すいしんし)」を「みずごころのこ」と読み替えます。みずごころと言えば、ことわざに「魚心あれば水心」というものがありますね。
 魚に水と親しむ心があれば、水にもそれに応じる心がある。好意には好意を。悪意には悪意を。相手の出方次第で応じ方が決まる。「水心子」の名を持つ彼は、そう定義づけられているのです。
 彼が三日月宗近に深く共鳴してしまったのも、この為なのでしょう。逆説的に、彼の動向を見れば、三日月宗近が彼や本丸の仲間たちに対しどのような意を向けていたかが如実に見えてきます。水心子が三日月のためにあれほど心を砕いてみせたのは、三日月が彼のために同じように心を砕いていたからに他ならないのです。
 また、「歴史とは大きな川の流れのようなもの」であれば、みずごころである彼はその「川」の意に通じることも可能なのかもしれません。

 では、同じようにして今度は三日月宗近について考えてみましょう。

三日月宗近
 彼に冠された名は「三日月」。決して満ちることはなく、またこれ以上は欠けることもない、細き月の光。
 消息盈虚が世の理(ことわり)である以上、「三日月」として定義づけられてしまった彼は、理の外側に置かれてしまっています。選択した一つの事柄の陰には必ず、選択しなかった複数の事柄が存在するように、彼は決して「全て」を選べません。地球から見える三日月の輝いている部分の面積は、満月の時の僅か6パーセントだそうです。
 けれど、諦めなければならなかった欠けた部分もまた、月なのです。『つはもの』で髭切もそう言っていましたね。
 当ブログをご覧の方は、過去の記事で私が三日月宗近についてどのように考えていたかはご存知かと思いますが、今回、それが間違っていなかったと確信できるような描写がありました。
 水心子が三日月宗近の存在を知覚した際、蓮の花に、山吹に、葵に、都忘れに、その他にも様々な花に変化していくあの場面です。
 そもそも最初に三日月が蓮の花に准えたのは、主であるミュ本丸の審神者のことです。自身は、その下の濁る泥水だと。
 では山吹とは? 他の花々は? それは別の三日月宗近が、別の本丸でそれぞれに准えた花、つまりは別の審神者のことに他なりません。三日月の意に応じ、彼に共鳴した水心子は、無数に存在する三日月宗近の全てと意識が繋がりかけてしまったのです。そりゃあ混乱も来すというものでしょう。
 ここらでいい加減、「機能」の本質も見えてきましたね。以前に天狼傳の記事でも少し触れましたが、やはり限定的な疑似アカシックレコード、ありとあらゆる本丸を対象とした「記憶」ないし「記録」で間違いなさそうです。
 大典太光世が「呪い」だと形容したのも、じつに頷ける話です。刀剣男士の意識は人間のそれと殆ど変わらないのですから、端的に言ってこれは地獄ですよ。あくまで一端に触れただけの水心子がああなってしまうくらいなのですから、三日月が自意識を留めていることはそれだけで奇跡的です。ひょっとしたら刀ミュ三日月宗近虚空蔵菩薩がモチーフなのかなあ。虚空蔵(アーカーシャガルバ)には無限の智慧だけでなく無限の慈悲も納められているそうですから、三日月のあの優しさはそういうことなのかも。

・放棄世界と山吹
 桑名江が耕し山吹を植えたあの放棄世界は、水心子正秀と源清麿が本丸にいる以上、原作ゲームに照らし合わせれば歴史改変され放棄された「天保江戸」のその後と考えて間違いなさそうです。あんな風に本当に何一つ残らない、無人の荒野みたいになってしまうんですね。
 そこに植えられるのが山吹。これは実に象徴的な意味合いを持っているように思います。
 山吹というのは、種子からではく地下茎を伸ばして繁殖する植物です。大地に根を張り、目には映らぬ場所で懸命に広がり仲間を増やし、やがて枝葉を広げ花を咲かせる。そこからまた新たな歴史が広がってゆくその象徴として、これほど相応しい植物もなかなか他にはないように思えませんか。

・「新々刀」と「江」
 ラスト付近の三日月宗近との対話で、それぞれに役割を担って欲しいと告げられた彼ら。
 新々刀の二振りには、「“これまで”と“これから”」を繋ぐことを。江の面々には「“人”と“人ならざるもの”」との橋渡しを。
 新々刀については殆どその名の通りといったところなので分かり易い役割なのですが、問題は作中でも答えをはぐらかされた江のほうですね。この辺りもやはり線引きの話なので、彼らに付随している概念や定義について少し考えてみましょう。
 おそらくここで肝要となるのは、現存する江の作刀には在銘のものが一振りも無いこと。それが故に「郷(江)とお化けは見たことがない」という“云われ”があること。この二点です。
 無銘、ないし無名。そしてお化け。これらの概念で構築されたモノが、刀剣乱舞の世界にはずっと存在し続けていますよね? そう、時間遡行軍です。
 無銘とお化け。この同じ概念を付託された存在であることから、江のモノたちは他の刀剣男士たちよりも、時間遡行軍のモノたちとの親和性が強いのです。
 だからこそ『葵咲本義』に登場した「先輩」こと稲葉江は時間遡行軍の側として登場し、しかも自我を取り戻せた。(今作で豊前江の台詞「イナさんには前に籠手切が遭った」があったので、あれはやはり稲葉江で確定。)
 そして、籠手切江が「すてえじ」と「あいどる」に拘るのも、アイドル(Idol)を本来の意味である偶像、ないし謬見(誤った認識)と読み解けば、彼らを構築する概念というものの強さが窺い知れるというものでしょう。
 ひょっとしたらここ最近になって江のモノが増え続け、原作ゲームでも粟田口に次ぐ勢力になったのも、未だ先の見えない時間遡行軍との戦いの決着を「融和」に見定めて舵を切ったことの表れなのかもしれませんね。

・能面の少女
 今作の中で水心子の前にだけ現れ、そして消えてゆく謎の少女。童子のようにも見えますが、被っていた面が「若女」に類するものだったように見えたので、おそらく少女でしょう。あの少女の正体とは……。
 結論から言ってしまえば、あれもまた三日月宗近が准えた花々の具象。つまり審神者です。
 あなたであり、私でもあり、かつて審神者だったものであり、これから審神者になるもの。今作に登場する源清麿や、他には和泉守兼定らのような「集合体」としての顕現に近い、けれど形而上の存在であったように思います。
 無性、ないし両性を表現していた可能性もありますが、女性性と小児性をあえて見せたのは、「生み出すもの」と「成長していくもの」の寓意でしょうか。あえて個としての名前をつけるとしたら、さしずめ「ミライ(未来)」とかになるのかな。

 将門が、道灌が、天海が、海舟が、守りたかったものは、大切で愛しい誰かへの想い。あなたへ、私たちへと続く未来だったのですから。
 どこかで頑張っている子。物語のラストで水心子が会いたがっていたのは、他ならぬあなたのことなのです。
 メタなことを言えば、ここから

『現世遠征 都結び』刀剣乱舞-ONLINE-

に繋げる美しい流れを意図していたのでしょうけど、開催が延期されてしまい残念です。おのれコロナ。

 


 といった感じで非常に長くなってしまいましたが、一回の視聴でまったくの記憶だよりに書けるのはこのくらいでしょうか。
 乱文乱筆もいいところですが、お付き合いありがとうございました。