弁慶と牛若丸を演じる岩融と今剣

 阿津賀志山異聞から通して互いに強い絆を描かれてきたこの二振りだが、出典として二振りが同時に記述されたものとしては『義経記』がある。

 義経記南北朝時代から室町時代初期に成立したとされる軍記物語で、のちの時代に隆盛する「判官物(源義経を主題とした物語群)」の大本となった書物だが、軍記というよりは伝記物といった内容で史料としての価値は無いに等しい。この義経記に登場する「安宅」は弁慶が富樫介の所に行って寄進をしてもらうという話に記述があるのみで、勧進帳で描かれる「安宅の関」でのやりとりは「如意の渡し」という別の場所でのやりとりをベースにしたもの。

 ここで岩融が勧進帳を演じることができなかったのは、たとえ芝居でも今剣を傷つけるような真似はできないという気持ちは嘘では無いものの、勧進帳のやりとりを記憶として保持していないことにも起因していると考えられる。

 

 ちなみに義経記に記述される『いわとおし』は薙刀ではなく岩透という刀であるのだが、これは薙刀・骨喰藤四郎や薙刀・鯰尾藤四郎が脇差である彼らと別個には存在しなかったり、土方歳三の持ち刀であったことを核にしながらも十一代兼定の作刀すべてが統合された存在である和泉守兼定や、同田貫正国、巴形薙刀などの例を見ても、刀剣・岩透と薙刀・岩融とは矛盾なく統合されているものと考えられる。