「歴史とは水のようなもの。始めから形など存在しない」

 歴史は流動的なものであり、事象の連なりが必ずしも確定されたものではないことが三日月の口から語られる。この「歴史とは何ぞや」という認識の齟齬が、小狐丸、ひいては審神者三日月宗近との見解の相違となっている。

 

 おそらく審神者や小狐丸の認識は、時間遡行軍の干渉を排除し、かつ任務に当たる刀剣男士による不干渉を貫きさえすれば、歴史は必ず一定の流れを辿るというもの。

 一方で三日月宗近は、それでは時に不十分であるという「記憶」を有している。

 ここで源頼朝の佩刀であった髭切の新たな「経験」が、「記憶」としてフィードバックされたシーンを思い出して欲しい。
 そして三日月に対する髭切の台詞、『君だけが確かな存在なんだ』を額面通りに受け取るならば、本丸が存在する西暦二二○五年の世にも太刀・三日月宗近が現存・実在する可能性、つまりは他の多くの刀剣たちとは違い「刀剣男士として顕現した自己」を経験・観測することができる可能性が浮かび上がってくる。
 だとすれば、本丸が複数存在し、複数の審神者によって複数の三日月宗近が顕現し偏在したとする場合、彼はその全ての経験を記憶として共有している可能性まで考えられるのだ。


 これが「幾度も幾度も繰り返した」という三日月の台詞の意味。小狐丸たち他の刀剣たちとは一線を画す、膨大な経験と記憶の正体であるのではないか。
(一つ断っておかなければならないのは、二○一八年現在に実在する三日月宗近以外の刀剣も多かれど、それが二二○五年まで残存しているかどうかは刀剣乱舞公式の設定次第なので、現状でこの可能性が当て嵌まるのは三日月宗近ただ一振りのみである点。)

 三日月の記憶の中にはおそらく、「時の政府が求める正しい歴史」を守れず、任務に失敗した本丸の記憶もあるのだろう。そうなった本丸がどのような処置を受けるのかは今のところ不明だが、誰にも胸の内を明かせず孤独に奮闘するしかなかった三日月の言動をみれば、それが穏当なものだとは些か考え難い。

 

 時の政府は審神者に命令を下す上位機関に当たるが、それは必ずしも審神者や刀剣男士たちの味方であるという意味ではない。そもそも時の政府がどんな権限を持って審神者に命を下しているのか。審神者はどうして時の政府に従っているのか。それが窺い知れる情報が一切無いので想像することしかできないが、審神者の生死を含め本丸の処遇は時の政府の意のままになる可能性は充分に考えられる。
 そうした上意下達の関係であった場合、認識の擦り合わせが出来ていない可能性は高い。つまりは「時の政府が求める正しい歴史」と「審神者の考える正しい歴史」は必ずしも合致していないことも示唆しており、この相違こそが三日月宗近と小狐丸の隔意の正体であろうと考えられる。

 

 では、三日月が守ろうとする「時の政府が求める正しい歴史」とは、どのようなものなのか。

 

 様々な描写から推測するに、これはおそらく「教科書に載っている歴史年表」を想像すると分かり易い。例えば今作の劇中ラストシーンのように『文治五年(1189年)閏4月30日。源義経、衣川館にて死亡』という「年表の記述」にさえ沿っていれば、実際の生死という「諸説」の範疇は許容される。ただし、こうした「記述」が書き換わる事態は絶対に容認されることはない。そういうスタンスであろう。

 対する小狐丸が守ろうとする「審神者の考える正しい歴史」は、前述した通り時間遡行軍の干渉さえ排除すれば不変である、既に確定されたもの。ただし『三百年の子守唄』の時のような荒業が罷り通ったあたり、「記述」に沿ってさえいれば許容されるという認識自体は審神者も持ち合わせていたのだろう。
(しかし三百年~の場合は、あくまで決定的に改変されてしまった歴史への対症療法であるため、始めから形が存在せずどう遷ろうか判らないため、常に観測し時には干渉も辞さない、という政府と三日月の歴史認識とは意味合いが異なっている。)


 どう遷ろうか判らないものを、一定の形に確定させていく。時の政府が励行するこの行為は、自らにとって望ましくない平行世界の淘汰である。無造作に広がり続けようとする枝葉(歴史)を剪定することによって、根幹(時の政府)をより太く強いものにしようという果てしない作業。

 それがここまでの情報から推察される時の政府の目的であろう。

 

 ならば時間遡行軍の目的はその逆。乱れた枝葉を伸ばすことによる根幹の枯死、つまり時の政府の転覆。

 ないし多様性の確保により自分たちが陽の当たる存在になった世界を求めている等が考えられるが……時間遡行軍が出現することによって初めて刀剣男士による歴史事象の観測も成立する為(ゲーム本編をはじめ、刀剣男士が時間遡行軍に対して先手を打った例は一度も無い)、敵対する筈の時間遡行軍すら掌の上、全て時の政府の目的の為に利用されているようにも見える。

 

 検非違使の存在もまた、その推測を裏付けるものの一つだ。三百年~において検非違使が出現したタイミングは、石切丸が徳川信康介錯を躊躇った瞬間。つまり『天正七年(1579年)9月15日、徳川信康自刃』という「記述」が書き換わろうとしたタイミングだ。
「非違(非法、違法)を検察する使者」という意味の名をもつ検非違使が、「非違」とするものが「歴史記述からの逸脱」であるならば、これは時の政府の目的と完全に合致する。検非違使が何者かの遣わす使者であるならば、その何者かは時の政府以外にあるだろうか?


 だがおそらく、この事実は触れてはならぬ禁忌なのだろう。

 そうでなければ三日月は審神者や小狐丸たちに協力を求めることもでき、たった一振りで孤軍奮闘する必要もなかっただろうから。

 

 これらを考えれば、三日月宗近の行動は直截的には「検非違使の介入を防ぐ」ためのものだという見方もできる。自身が先回りして検非違使と同様の役目を担うことで、仲間たちにとって最大の脅威を排除しているとも言えるのだ。三日月が語り実践する「歴史を守る」とは、「主と仲間を守る」とも同義。


 歴史を守る。主の命を守る。

 三日月と小狐、共にその思いは全く同じ強いものであるが、その意味合いは大きく異なってしまっている。