『葵咲本紀』雑感

ライビュにて初見の雑感です。

 

刀ミュ初の「過去作を補完するお話」というのがまず面白いですね。
観れば明々白々、『三百年の子守歌』では描ききれなかった空白期間(信康の死~家康の死まで)を埋める作品なわけですが、同時に『つはもの』や『結び音』で小出しにされてきた世界観や舞台設定をも補完してきました。
逆に言えば『葵咲本紀』で刀ミュに初めて触れる方にはやや不親切な内容だった面は否めないですが、いつまでもそこに拘っていてはお話が進んでいかないのも事実。なればこその措置としての『三百年』再演だったのでしょうし、ここからは地続きの大長編としての刀ミュが始まるのだというメッセージも込められた作品だったのではないでしょうか。

 

本作を観て私が受けた印象としては、「祓(はらえ)」というのがテーマなのかなというものでした。
過去作でいえば歴史とはなんぞやという点に切り込んだ『つはもの』なら「暦(こよみ)」。刀剣男士と対になる存在である時間遡行軍たちに焦点を当てた『結び音』なら「陰(ひかげ)」といった具合に根底のテーマのようなものが感じられたものですが、はてさて皆さんはどう思われたでしょう。

遡行軍の側、彼岸(ひがん)へ行ってしまった「先輩」の迷妄を祓ってのけた籠手切江を筆頭に、使命のために元の主を傷つけることを躊躇う御手杵の迷い、怠惰な性(と見せかけて実はこの中じゃ一番真面目なんですが)ゆえに決して状況にのめり込むことなく一歩引いた位置から全体を俯瞰する明石国行の、ともすれば冷徹なまでの義務感。いつも自分を驚かせる三日月宗近の所行に触れ、彼に抱いていた疑念を一つ払拭した鶴丸国永などなど。

問題そのものが消えてなくなるわけではない、けれど良い方向へ転じてゆく、つまりは「祓われてゆく」さまが次々と描かれていくのには、どこか清々しささえ覚えます。
個人的に特に印象的だったのは、千子村正。おなじみの劇中曲「刀剣乱舞」の際に口にした、『三百年』の時とは全く異なる「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(南無妙法蓮華経)」の声色、死んでいったものたちを悼む経文として唱えられたその語句が、私の涙腺を最初に刺激したシーンでした。

その彼、徳川に仇なす妖刀を自負し、事あるごとに家康への嫌悪を口にした彼が、「咲」という字のもう一つの意味を込め「葵が咲(わらう)」と物語の名をつけるラストシーンは、鳥居元忠(物吉貞宗)の死に際し家康がこぼした

「自分は上手く笑えているだろうか」

という言葉への、彼からの答申でもある。言ってみればよくあるタイトルコールでしかないこのシーンが、「妖刀」としての妄執が少なからず祓われたことをも窺わせるという、この脚本の妙。

やはり刀ミュは素晴らしいですね。ほんと好き。

 

他にも物語以外の面でも、殺陣のシーンなんかはこれまでより更に迫真のものに仕上がっているように感じましたし、演出や音響なども作を追うごとにどんどんブラッシュアップされてきた印象。

細々とした語りたい部分はまだまだ沢山ありますが、とりあえず初見での雑感ですのでこの辺りで。
刀ミュ最高! 次が待ち遠しいなあ。


とりあえず、ディレイ早う。